皇華伝  序章






 はっきりとしない意識、ただ、森の中を駆けていく。それは恐怖なのか、それとも
他の何かが突き動かすのか。皇華自身それはわからない。
 だけど走らずにはおれない。ここまで導いてくれた音色は呼んでいるかのよう……

音色は、おそらくは笛の音なのだろう。祭りでも使われる横笛、龍笛と呼ばれる代物、
なのかもしれない。
ゆっくりと響く。今にも消えそうな細い音色。なのにしっかりと皇華の心を掴
んでは離さない。

 どこかで見たことがある森の中。どこかで見たことのある一本道。
 風でも吹けば消えてしまいそうな音を頼りに走り続けていた。

 心臓の音がやけにうるさい。呟き続ける。黙れ、黙れ、黙れ……

 不意に音が消える。おまえじゃない。おまえは消えてはいけない。
心臓の音も消える。何かに心臓をわしづかみされたような感覚。叫びたくなる程の
恐怖。汗が冷たい。冷水を頭からかぶったかのような、嫌な感触。

 音が消えると周りの風景が変わる。森は別の何かへと変化する。
木は得体の知れないものに、緑は赤一色に、空気は焼ける何か別のものに、地面は
ぶよぶよとした半液状のものに……

 視界が晴れる。森が別の何かに変わってしまって視界が晴れる。
その奥、一段と赤いものが見える。

 奥歯をかみ締める。今にも叫びたくなる。抵抗するように噛み締める。

 その奥にあるのは横笛を一心に吹き続ける一人の白い人。服も肌も髪も瞳の色すら
白一色で統一した女性。その頬には一筋の線が、くっきりと浮かび上がる。

 笛はもうならない。ならないことを知っているのに、吹こうとしているのだ。

 足が動かない。速く、速く彼女のところにいかなければ……呪詛のように唱える。
動け、動け、動け、動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け……

 何かと赤一色が集まっていく。笛の音がなくなったから近づけるのか、元々近づ
けたのか、それはわからない。
 もうあきらめたように笛を離す。真っ直ぐと見つめてくる。
「……これは貴方がくれた色。色のない私に色をくれました。だから……」

 手を伸ばす。伸ばせば伸ばすほど遠ざかっていく。
 奥歯をかみ締める。肺に息が入り込む感覚。
恐怖よりも何よりも凌駕するたった一つの感情。それは……

「くそがっっ」




「くそがっっ」
 叫び声が響く。
 不意に我に返って周りを見回す。
……夢。子どもの頃から見ていた悪夢。この夢はもう二十歳に近づいた皇華を
未だ苦しめていた。
 本当にあったことのような気もするし、妙にリアルな感覚なのだ。

 もし、力があったら……助けることができるはず……
 それが皇華が力を求め続けた理由だ。
……不良と喧嘩に明け暮れ、家の連中と毎日朝練と夕練を日常化した。
銃で武装した相手であろうと、ドスで武装した相手であろうと、異能者だろうと
立ち向かえるように……

「若、何かございましたか?」

 専属メイドの声がする。けして若くない。

「……なんでもない……下がれっ」
 語尾を強く、叫ぶ。
「……かしこまりました」

 皇華は頭を抑える。静かに呟く言葉を、何度も吐いてきた言葉を……
 恐怖よりも上回る感情。常に皇華の中にある。
赤い風景を一変させる感情。まっすぐとした思い。
……この身を焼く感情は怒り……

 細い目はつりあがる。奥歯を噛み締めた。




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