草凪家の夏三 台風(上)




だんだんと風が強くなっているようにも思える。異常な暑さは今に始まったことではないが、この風は日常の
暑さを忘れさせてくれる。それほどすごしやすいものにしてくれていた。
そしてちょうどその日、風の声が耳に入るようになっていた。部屋の中でも感じるほど強い風が吹いている。
それにあわせるかのように草凪家も。


「御沙様、退いてくださーい、きゃっ」

 派手にぶつかり、御沙は尻餅をついた。同じようにして、メイド服を着た人が壁を背に尻餅をついている。
抱えていた洗濯物の籠が宙を舞った。満載されていた洗濯物が廊下に散らばり落ちた。完全に乾いているから
洗濯しなおす必要はないだろう。

 メイドはずれた眼鏡を元に戻し、平謝りしながら御沙を気遣う。
氷河はやれやれといいながらも、籠に洗濯物を入れていく。乱暴に入れて、メイドに渡す。

「慌てすぎ。廊下は走ったらいけないって誰か言ってなかった?」
「えぇ、そうなんですが、思った以上に早くなりそうなので。御沙様、申し訳ありません」

 この人は謝ってばかりだ。メガネをかけたメイドは立ち上がり、一礼してまた駆け出していく。
入れ違うように他のメイドも走っていく。

「氷河ちゃんも手伝ってー。もう大変なんだから」
「ちゃんはよせっていつもいってるだろっ」

 すれ違い様のやりとり。ちゃん付けされるのに反発するが、聞いてくれたためしはなかった。
氷河はため息をつく。
 どうやら遊べる暇はなくなったらしい。

「御沙。おまえも手伝え」
「? 何を?」
「んーとだな……」
「って氷河ちゃん、忍者の壁ぴたっ」

 不意に後ろから声がかかり、慌てて壁に張り付く。その横を足音をたてて割烹着姿のメイドたちが駆け抜け
ていった。
 今日はいつにもまして物々しい雰囲気だ。

「皆忙しくしてるのはわかるな」
「あい」
「早く終わらせるために手伝わなければならない。働かざる者食うべからずって言う」

 人差し指を立てながら講義をし始める。

「でもどうして忙しくしてるの?」

 元気のいい声で御沙は手を挙げ尋ねる。まるで先生と生徒みたいだと思いながらも、苦笑いを浮かべる。
氷河は大げさにため息をつく。

「至極お馬鹿な問いだよ御沙君」

 妙にませた、そして演技のある言い方をしてみる。
きょとんとした顔を浮かべるが、氷河は眼鏡を上げる真似をしてみせた。

「今から大変なことが起きるんだ。だからそのために皆全力で備えなければならない」
「大変なこと?」

 氷河は半眼になりながら、この暢気な御沙を見た。
 半ばあきれながらも、何故か口元が緩むのを感じながらも氷河は答えた。

「台風が、接近しているんだ。特大のが。すごい風が来るんだ」



 台風に備えて、御沙と氷河が手伝いに走っていた。とはいえ、やる仕事は連鎖的にやってくる。
仕事中のメイドを発見すると

「手伝いにきましたー」

 と、御沙が言い、手伝いが始まるのだ。



「ひょうちゃん、いくよー」
「くそっ長いぞ廊下っ」
音を立てながら、氷河は雨戸を出し、それを御沙が受け止め、さぁっと移動し始める。
―――こうして長い廊下の雨戸を閉め、


「しかし、いくつあるんだよ」
「まだまだあるよ」
流し場にたくさんの大きなペットボトルが十数本ある。その後ろには巨大な冷凍庫。ここは調理場だ。
氷河はげんなりとした顔で冷凍個の中に、もう何本目になるかわからないペットボトルを入れる。
「…………」
「どうしてこんなに水をいっぱいにするの?」
「もし、停電になったときに、この氷が冷蔵庫やら冷凍庫の代わりになるんですよ。御沙様」
メイドの一人が答える。
「あーもぅ面倒だ。御沙、頑張れ」
「あんたもするのっ」
 ぺこっとペットボトルで叩かれた。
―――こうしてペットボトルに冷凍用の氷を作るため冷凍庫に入れる作業をし、


「ご飯炊けましたー」
メイドの一人が声を張り上げる。士気をあげるためか、やる気をふるい立たせるためか。
「オーケー、これをすし桶に入れて、全力で冷まさせ……るのです」
料理長・金城静香が声を張り上げる。一瞬、止まったのは御沙の姿を確認したからだろう。
御沙の前では妙に丁寧にしているが、普段は「さっさと仕事しろーさもなければ晩御飯抜きっさっさとやりやがれ」
など結構言葉遣いが荒い。
「料理長っ質問です」
「何ですか。御沙様」
「これっておにぎりにしたほうがいいのではないでしょうか」
「いい意見ね。採用っ外に向かう人たちにも持たせるのにも使えるし一石二鳥。さすが御沙様」
「ついでに焼きおにぎりできれば、一石三鳥、だな。ほら停電になったときとか」
「さすが氷河君。伊達に忍者してない。停電したら、どの道焼くか水で戻すかするわけだから。
問題は冷蔵庫に入るかどうかだけど……」
「大丈夫です。料理長さんなら」
「くぅ、御沙ちゃん……らぶりーな二人の声援があれば私は何にでもなるわっ。任せておいてっ」
「ふぁいと〜」
「あんたらもするの。さぁさぁさぁさぁ」

―――こうして大量にご飯を炊いたのをおにぎりにしてフリージングしたり。
ついでにラップに包み、お茶セットを作ったり。


「こっちは終わったぞー、さぁ、やるのだ二人とも」
「だからって大事に落とすんだぞー。乱暴にするのは耐久性を減らすことになる」
二人のメイドに指示を受けていた。
「……だったら子供にさせるなー」
もっともらしい意見を言う氷河。確かに子どもがするには結構骨が折れる。
だがメイド二人の目が妖しく光った。少なくとも氷河にはそう見えた。
「か弱い女に、物干し台の台を倒させていいのね〜ふぅーんそうなんだー」
「ふぅーん、そうなんだー」
「御沙、おまえも真似すんなー」
「え〜私女の子ですよ〜」
「くぅ、こういう時だけそんなこと言う……ちくしょぅー」

―――こうして……物干し台の台を倒しは全部氷河がする羽目に……


「あー、外に落ちているものを全部拾い集めておいてください。洗濯バサミからバケツやらホースやら。
なんでもとんでしまうのはもったいないですから」
「はーい」
「あー、スコップはほらここ、石に穴開いてるでしょこの中に入れてくれれば。あーちゃうねん、こっち側に
しとれば、ほらだしやすいやろ?」
「言葉言葉。関西弁になっちょるぞ」
「あーあかんわ〜」
―――……関西弁? よくわかんない方言をいい始めながらも外の飛びそうなものを回収にまわったり。


「ビニールのを。そう、そのロープみたいなものです」
御沙は白いビニールの紐を持っていく。ここは駐輪場。ブロック塀で囲まれているが、ここにある自転車・バイク
にシートを被せ、なおかつ固定するという作業をしていた。
「はーい。でも何してるんですか」
「固定しておかないと、シートとかとんじゃいますから。そのための作業ですよ〜自転車の数も結構ありますから」
「自転車は転がしておいたほうがいいんじゃ?」
「氷河ちゃん。いいですか。こだわりと美学、なのですよ」
「……あーそうですか」
疲れたように氷河は頷く。
こだわりと美学のために苦労させられることは妙に多いから

―――こうして、一通りの作業は終わりに近づいていった。

その間……
「これはこれで楽しいね」
「……毎日暑いが、これだけ風があって涼しいと文句は半分になるしな」
 と、いいながら手伝いに勤しむ御沙の顔を氷河は「さすがにオーバーワークだー。もう疲れたー」とは
言い出せずにいた。笑いながら手伝いをする御沙を改めて凄い奴だと感想を持ちながら、その横顔を盗み見
ながら。
「一度シャワーなり浴びておこう。汗臭くなるぞ」
「はーい」
……実は氷河も楽しんでいた。それは子供だからとかそういうものではない感覚だということに今は
気づいていなかった。



 不意に廊下の奥からどたどた、と足音が聞こえてきた。
「御沙、氷河はおらぬか」

 声の主は皇華のようだ。

「いたな、氷河」

 皇華は二人を見つけたらしく足早によってくる。その格好が、妙だった。いつもは着流し姿とラフなものが、
今日はびっちしスーツ姿に透明のカッパという珍しい格好をしていた。

「な、なんだよ」
 にらみつける。氷河はまだ思っている。この男は敵だ、と。
皇華の頬がぴくっと動く。だが、それ以上咎めることは言わず、

「氷河、貴方の部屋から荷物を持って移動だ。御沙の部屋に移動させろ」

 爆弾発言しやがった、反撃のつもりか……氷河の頬が引きつり叫んだ。

「どうしてだよ、ええ。この前移動したばっかりだぞこら」
「文句は台風に言え。今の茶室は破損及び倒壊の危険性がある。それ故の家主判断だ。おまえはクソガキだが、
俺のライバルの息子だ。俺の家族の一人だ。それ故、打開策をとった。文句があるなら正論でかかって来い」
「クッ」

 もちろん、子どもVS大人の口論に感情論を持ち出さずに勝てないことは重々知っている。そこまで向こう見ず
な性格ではない自分が恨めしい。
 皇華は勝ちを誇らず(誇ったら大人気ない)御沙に向き合う。目線を同じにして、真剣な表情を向ける。

「御沙、今から仕事に行ってくる。麗のほうもそっちにかかりっきりになると思うが、氷河がいれば怖くは
ないな?」
「はいっ」
「いい返事だ。さびしい思いをさせてすまんな」

 ぎゅっと抱きしめながら言う皇華に、御沙は抱き返しながら耳元でぼそぼそと呟く。
皇華は目を閉じ、不器用な笑みを浮かべる。

「安心しろ。ちゃんと帰ってくる。そう簡単には……」
「皇華様、時間です」
「わかった、すぐにいく。街の被害を最小限にするぞっ」



「いってらっしゃいませ」
 麗は火打石で皇華に厄払いをしながら微笑みかける。
うむ、と一言言い、他の男衆も立ち上がった。
大きめに作られてある玄関には、草凪家の男衆は皆真剣な顔でカッパに身を包んで立っていた。
これから街の見回りや被害状況を調査、などの任務に就くのだ。
手にした食料は先ほど御沙・氷河が手伝ったおにぎりだ。

「絶対に無事に帰ってくるのですよ」
「大丈夫。死にはしないさ。瓦が飛んできてもとっさに反応できるはずだ。そのための修練は問題ない。
そうだな、皆の衆」

 統一した歓声が上がる。

「これは御沙から。頑張って、と」
「おにぎりか。今は手伝いをしているのか?」
「ええ。貴方に似てね。優しいのですよ」
「……いいや、むしろ麗、おまえだろう?」
「私の優しさはわかりにくいですから」
「人のことは言えんよ」
「皇華様。時間です」

 ラブトーク中に声をかけるのは、どんな時でもずばずは言うメイドだ。半眼になりながらも、時計を
見る。もうそろそろ出発しないといけない時間だ。

「わかった。では、行くぞおまえらー」

風の音を掻き消すほどの声。勢いよく飛び出して行った。
麗は、向かったのを確認すると、一人庭のほうに姿を消した。



「ひ、ひょうちゃん、こ、これは?」
「もってく……気にいってたのにここ……」
 茶室を部屋にしていた氷河はうらめしげに見つめる。台風で崩れる可能性があるから、という理由で
布団も何もかも移動することになったのだ。
 薄暗くなってきた茶室の電球がゆらりと揺らいでいる。風が強くなり、隙間風が不気味に響いている。まるで
人が悲鳴を上げているように聞こえる。揺らいでできる影が、何か別の生き物のように見え、ホラーハウスかの
ようだ。
 不気味なのだが、それを表に出さない。すぐ隣には御沙がいる。その御沙の表情は青い。怖がって
いるのがよくわかる。不安にさせたくないというのもあるが、男故のプライド、なのかもしれない。

「あと、それをもっていったら終わりだ。大丈夫、しっかりしろ」

 優しく声をかける。こういう時でないと優しくは言わない。態度でしか見せない。

「ひ、ひょうちゃん、怖くないの?」
「風の音だろ? そう心配する必要はないさ。それにな。俺がいるだろ? だからだいじょうぶだ」

 言い聞かせるように、力強く言う。声は、多分震えてなかったと思う。

「……うん」

 弱弱しく返事が返ってくる。長居は無用、足早に茶室を後にする。
出ると、風が雨を伴って踊ってるように見えた。いよいよ、本番が来るらしい。
御沙も氷河もその光景を見ていた。

 雨は風に乗ってさまざまな方向から降る。まるで生きているかのように、全方位あらゆる方向に、風の成すがままに
踊り狂っているようだ。
 風も微妙な強弱をつけるかのように吹いている。ぼ〜っと立っていたら、全身が雨に濡れ始める。
突風に吹き飛ばされないように慎重な足取りで渡り廊下を歩く。頬を、体を撫でるかのような風が通り過ぎる。
雨の量も徐々に増えているのだろう。
まるでこれからが本番だと言っているかのように……

 視界内に不意にその人は現れた。白い人、全身肌も服も何もかも白い人がいた。笑顔で二人の様子を見ている。
御沙はそれに気づいた様子はない。氷河は見なかったことにして止まらずに歩く。
 この夏に出てきた白い人。御沙を見守るようにしているのを何度か見たことがある。ただ、この前の、
お化け騒ぎの影響か、できるかぎり関わらないようにしないといけない。
 あの白い人は別に怖くはない、だけどなんといったらいいのか。近くにいると近づいてはならないという自制が
かかる。きっと幽霊か何か、もしかすると御沙の守護霊か何かに違いないと。
こちらを見て、笑っているような気がした。氷河はそのほうを向く。

「ど、どうしたの? ひょうちゃん」

 何かいる? と小声が聞こえてくる。今年の夏で怖い思いでもしたのだろうか……
知らずうちに足が止まっていたようだ。御沙が振り返り、今にも泣きそうな顔で見つめてくる。

「なんでもね。さっ急がないと飛ばされるぞ?」

 目を瞑って軽く会釈する。それぐらいの礼をするぐらい、平気なはずだ。
……にこやかに手を振ってるのを無視するように、歩き出した。




 大広間では、台風情報を流して皆そこに集まっていた。
御沙・氷河・警備関連の人たちを抜かしてメイドの多くはここに来ている。
準備は問題ない、はず……

「あっ」

 誰かが声を上げた。

「ど、どうしたの?」
「ランプに入れる油忘れました」

 情けない声に、場がほっとした空気に染まる。風の音とニュースの流れる音以外、なんとなく誰からも
話そうとはせずにいたのだ。

「えー、停電になったらどうするの?」
「だ、だいじょうぶです。エタノールはあります」
「なら、してみましょう」

 しばらくして、小さなランプを一つとエタノールとかかれたプラスチックのボトルが用意される。
 中にエタノールを入れ、マッチで芯に火をつける。エタノールに浸された芯にうっすらと小さな火が燈る……
だが、その灯りは明るくならない。本すら読めない、ただほんのちょっとだけ光というものが存在する程度の灯り
にしかならない。芯をちりちりと燃やし続けるだけで、やがて小さな燃えカスがあるだけになってしまった。

「駄目です隊長、エタノールは役に立ちません」
「これだと、ろうそくのほうが有能ね。本も読めない」
「軍曹ー」

 誰か声を上げる。

「はっ」

 ランプの燃料を買い忘れた人が敬礼をして返事を返す。

「飯抜き」
「そんな〜」

 笑い声が響く。そんな中、ニュースの音が不意に大きく聞こえた。

「台風は今現在進路を北北東の方向、時速15キロで……」
「いよいよきますね〜本格的に本番が」
「嬉しそうね」
「そりゃぁ楽しまなきゃ損します」
「……被害が最小だといいけど。水漏れとか」
「それは多分どうにかなります」
「えらく自信あるね」
「そりゃぁ。彼らが守ってますから。この家をまぁ、水好きなんでしょう。全身が水でできてるぐらいに」

 それは、まるでお化けのことをいっているかのようだ。この人も会った一人なのかもしれない。

「彼ら?」
「そっ彼ら」
「知らない間に電波の人になったのね……かわいそうに……」
「うぁー同情されましたよ隊長ー」

 わいわいがやがやとしている。この家に住む人の大半はいるせいか、妙な盛り上がりを見せている。
こと噂話は大好きな人たちなのだ。

「ところで御沙様と氷河君は?」
「ジャマしちゃまずいですから」
「まずいですね〜」
「でも気になりますね」
「こんなこともあろうかと、御沙様の部屋に監視カメラを」
「よくやったぞ軍曹。飯抜きはなしだ」
「わーい」
「では皆さん、スクリーンでお楽しみください」

……どうでもいいが、最悪なメイドたちである。



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