草凪家の夏三 台風(下)





「ほんとに、風が話しているみたい」

 暴風域に入ったのか、微かな隙間から入ってくる風の音が「ひゅ〜」と声を上げる。
高い音は耳に残り、まるで話しているかのようだ。
だが、まだ季節は夏。雨戸を全部閉め切っているせいか、蒸し蒸ししていた。扇風機を
つけてはいるものの、うっすらと汗が出る。

「まぁ、これでもし停電になってもお風呂は入ったことになるから問題なしだ。
灯りも一応用意してあるしな」

 用意しておいたライターと蝋燭と皿をテーブルに置く。

「この声……一人だと怖い、かも」
「よしっ一人で聞いて……すまん、冗談だ。そんな顔で見らんでくれ」

 目がうるうるとしている。今にも泣きそうな顔になっているのだ。
泣かれるのが一番嫌だ

「ひょうちゃん、お願いだから、一緒にいてね」
「あぁ、他に行っても面白くなさげだしな」

 からかうように言ってみる。いいたい言葉はそれじゃなかった。一度、泣かせたのがこたえているからだ。
できることなら、二度と泣かせたくない。

「それって私のことで遊ぶってこと?」
「さぁな」

 言いながら、バックの中から鉛筆と「夏休みの友」を取り出す。
天気をつけるところがあり、そこにマークを書かなければならない。あとまだ残っているから、本格的に来る前に
片付けておいたほうがいい、と判断していた。

「御沙は終わってるのか?」
「宿題はもう終わらせましたよ。あーでも天気のは書き直さなきゃ」

 不可思議な言葉が聞こえてきた。

「ぇ?」
「あーそうそう日記も書き直さなきゃ……」
「ぉぃ」

 御沙を止める。ちょっと落ち着かせろといいたげに、息を整え、見上げるようににらみつける。
氷河の目が半眼になってて上目使いで見るように睨むから怖い。

「な、何? ひょうちゃん」
「……ズルはいけないぞ。ズルは」
「えー、ズルじゃないですよ。父曰く、先読みもまた立派な勉強……」
「なわけあるか〜。皇華のように屁理屈はこねるな。お願いだから」

 皇華はたまにとんでもないことを言い出し御沙を教育する

「計算問題や漢字のドリル、工作に絵に、あとは読書感想文も完璧っ残りは日記と天気書くとこだけだし。中途
半端に残っているとほら……うー、わかったから、そういう目で見ないで……」

 気がつくと氷河の目が涙目に見え、本気でやめてくれといっているかのように見えた。
御沙は夏休みの友を取り出すと天気のページで消し始める。

「夏休みの友って面倒……」
「どうしてあるんだろ……ん? ちょっとまて、天気以外全部終わらせてるのか? すげぇ」
「だから一緒にしようっていってたのに……」
「……いいんだよ。毎日することに意義あるんだ。きっと」
「ひょうちゃん、言い訳はしないで」
「うっ」

 氷河は自分の宿題をし始めた。
ちなみに小学校までは自転車とバスを使って登校している。草凪家は街から離れた場所に存在している。
ここら周辺は自然が豊かな場所だ。近くに畑などもあるが、不思議と働いている人を見たことがない。
と、突然突風が一段と大きな悲鳴を上げる。雨が激しく叩かれる。

「ひょ、ひょうがくん」
「……ん?」
「ゆ、揺れてない?」
「それだけ強い風なんだ」
「うー」

 絵でも描いていたのか、御沙は鉛筆とノートを置く。すぐにテーブルの下におく。
氷河も同じように「夏休みの友」を閉じてテーブルの下においた。
嬉しそうな、そしていたずらっぽい顔を御沙に向けた。

「……窓開けてみるか?」
「え?」
「だいじょうぶ。こっちの小さなほうを開けるから。すこーしだけ開けていれば問題はないんだ。多分」
「多分って。危険っていったのはひょうちゃんでしょ?」

 窓を開けて雨戸を少しだけ開けてみる。途端凄い風が顔を打つ。

「暑いだろ? 空気の入れ替えは必要なんだ」
「そ、そうなの?」
「そうなのだ」
「なら、ちょっとだけだからね」
 御沙は立ち上がり、窓辺に移動していく……




 その頃、大広間では……

「た、大変ッ 氷河ちゃんと御沙様が」
「わー、窓開けようとしてる。ど、どうしましょう」

 パニックになったのは覗き見しているメイドたちだ。
皆総立ちで、二人の様子を見ている。

「か、カメラを切り替えて」
「りょ、りょ、了解です」
「くっ、駄目だわ、ここでは死角に……ぐ、軍曹ー」
「もういいからそのネタは」
「……とにかく切り替えている暇なんてないわ? ほら、もしもの時……」

 瓦が窓を突き破ったり、あろうことか御沙や氷河に当たった時を想像し、身震いする。もしそうなったら
それこそ緊急事態だ。

「警備部に連絡っ御沙様の部屋前、及び外の様子を聞いて」
「駄目です。電話通じません」

 悲鳴じみた声。
台風時、予告もなしに起こる。予想も何もあったものではない。
頭の中がグルグルと回り始めていた。

「なら、走って行きなさい」
「了解っいってきまーす」
「あぁ、こんなときに麗様がいてくれたら」

 いつもは恐怖の象徴みたいな麗に祈る。相当パニック状態になっているのだろう。

「仕方がありません。麗様は『実家』のほうをやらなきゃいけないのですから」
麗の『実家』は自然の有り余る場所にある。滅多に人が行かない場所にあるとかないとか。
「私たちでどうにかするのよ」
「おー……」

 皆歓声を上げたその瞬間。強く横に家が揺れた。
その途端、電灯が消えた。

「きゃー」
「て、停電よ、安心しな……って痛いわね」
「あぅ」
「頭が。誰よいったい」
「灯りを……きゃっ」
「誰か足ふんだー」
「落ち着きなさいってわわぁ」

……大広間は大変なことになっていた。



「凄いぞ御沙。瓦が飛んでる。空を見ろよ。さっきより風の流れ速いぜ。すげー」
「ひょ、ひょうちゃん危ないよ」

 同じように御沙も隣で見ている。危ないよといいながらも、御沙も興味津々なのだ。近くに植えてある木が
折れ、瓦が数枚落ちている。時々、風に飛ばされたのか、木の葉が家の中に入り込む。
こんな体験はなかなかできない。

 完全に日常とは違う光景。脳に焼き付けるかのように、風を、雨を、そして実感として刻み込むように
二人は見続けていた。

「あー本当。風、本当に強いね。夕方よりもずっと強い……」
「あーでも、外に出たら駄目だからな」
「えー」
「えーと言われても。瓦とか木とか折れてるからな。行ったら怪我するぞ」

 額にデコピンされ、頭を抑える。痛い。

「下手すると、風に流されるぞ。俺たちは軽いんだからな」
「空も飛べる?」
「飛べるかもな」
「ならいく」
「てぃ」

 手刀が頭に叩き込まれる。御沙は頭を抑えた。
怒った顔で、御沙を見下ろす。
「痛いよ。ひょうちゃん」
「痛いよーじゃない。どうなるか、俺が教えてやる」

そういうと、ノートを一枚びりっと破き、何かを作り始める。電灯が一瞬だけ消える。
御沙はそっちを見ようとした。

―――危ないっ閉め……

不意に声がした。危険を告げる声。その瞬間、雨戸に手をかけ、閉めた。硬いものが割れる音がした。
氷河は振り返る。手にした紙飛行機を手に御沙を見る。

「なっ、何があった。御沙」
「……わ、わかんない……で、でも……」

 ぺたんと座り込んだ御沙は氷河の顔と窓を見る。雨戸が閉まっているのと心配気な氷河の顔。
生気が失われたかのような、感触だけが残っている。御沙は知らず知らずのうちに頬に手を伸ばす。
きっと青い顔になっている。

「わかった。朝がきたら何が飛んできたのか見ような」

 宥めるように言った瞬間、電灯の灯りが消えた。
氷河は雨戸の止め具をしっかりと閉める。

「ひょ、ひょうちゃん」
「だから心配ない。俺がいるっていったろ?」

 氷河の手が肩に乗る。暖かな体温が感じられる。

「うん……」
「しかし、電気も消えたからすることがなくなったな。とりあえず、蝋燭をつけよう」
「うん……」

 手を引っ張られる。御沙は立ち上がり、ゆっくりとテーブルのところまで行く。氷河には見えているのか、
手早く蝋燭に火を入れる。蝋燭の蝋を皿に零しそこに立たせる。

「よし。布団を敷いておこう。どうせ蝋燭一本なんだし。本読むのもすることもないしな」
「ひょうちゃん……やっぱり凄い……」

 ボソボソと呟く声に、氷河は顔を背けながら言った。

「ばーか」
「……ばかじゃないもん」

 反論する。とりあえず反論はする。
―――少しだけ元気が戻ったのかもしれない。
氷河は笑っている。
御沙も笑っている。
布団を敷きだし、寝転がる。同じように氷河もだ

「蝋燭、消しとくか」
「火事になると問題だしね」
「そうだな……」

 蝋燭の火を消すと、風の音だけが聞こえる空間になっていた。時々瓦が割れているのか、音が聞こえる。

「……御沙、わりぃ」
「……なにが?」
「……離れるとき、雨戸閉めてなかったから。俺の責任だ。だからわりぃ」
「……結果オーライ。どんとうぉーりーっです」
「結果オーライはともかく、なんだそのどんとうぉーりーっていうのは」
「……わかんない」
「わかんないっておまえな〜」

「……声がしたの。誰かの声だったんだけど、なんだったのかな」
「……きっとおまえを守ろうとするいい幽霊とかじゃないか?」
「いい幽霊?」
「そう、いい幽霊。人を守るためにいるいいことをする『幽霊さん』のことだよ。逆に人に害を及ぼす幽霊が
悪い幽霊。妖怪とかにもいい妖怪、悪い妖怪とかそういうのがいるんじゃないか?」
「いい幽霊……いい妖怪……だとしたら、私悪いことした」

 何かあったのだろう。氷河が父の幽霊にあった(と思ってるのだが確かめようがない)ことと。

「……今度あった時に謝っておけばいい」
「ごめんなさい」
「御沙?」
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
「ったくおまえってやつは……」

 氷河は部屋にあるティッシュを探し出し、御沙に渡した。




翌朝……
 台風はもう通り過ぎてしまっていた。風はまだ強いが、台風が狂い踊った後に比べると全然だ。
雨も上がり、雲はあるものの一段落したらしい。
「あーもぅ疲れたぞーこらー」
 草凪家の被害は凄いことになっていた。
 瓦が十数枚飛び割れ、テレビのアンテナは折れ、外壁が破損、街と家の間の道路に木が散乱し、
時に道路を塞ぐかのように木が折れていた。
 街のほうの被害は看板が破損、瓦が飛ぶ、アンテナが飛ぶ、津波で人がさらわれる(救出済み)
電線にビニールや木の枝が引っかかる、などなどの被害はあるものの、人が死んだりという被害は
なかった。
 ただ怪我人が極端に多かった。多くが草凪家から出て作業していた人たちだ。
 川も決壊することがなかったようだ。

「おつかれさまです。皇華」

 麗のほうは麗のほうで、大変だったらしい。もともと飛び出すようにして出てきたのだから、
いい目では見られなかったと呟いていた。
着ている着物はすっかりぐしょぐしょになっていた。カッパはどうやら飛ばされたらしい。
この人はこの人で謎だ。

「お風呂、用意してありますよ」

メイドの一人が一礼した後、そう告げる。出迎えに来ているメイドたちはメイドたちで、怪我人が多い。
いったい何があったのか、という報告は後でなされることだろう。だが、どれだけ偽装して言うことに
なるのだろうか。

「あぁ、皆の衆いくぞー」
「おー」
「その前に麗様のほうを。皇華様も」
『後でいい』

 麗と皇華は声を合わせるように言う。お互い見合わせて、言った。

「御沙の顔を見てからだ」
「そういうこと。いきましょう」
 二人は歩き出す。太陽の光が一瞬、二人を照らした。



「だからってどうして窓から入ろうと?」
「近いからに決まってるだろ?」

 麗は笑顔で尋ねる。瓦や木が散乱していた。これは危ないと思ったのが、巨大な木の枝が
雨戸の前にあったことだろう。窓が開いていたなら、割れてしまったのは確定だ。さらにそこに
人がいたら大怪我は間違いない。

「……これは、危険だな」
「……そうですね。危険です」
「御沙ー無事かー?」
「御沙ーおきなさーい」
 二つの声が御沙の部屋で響き渡った。



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送