前夜  ホワイトデー編      





「何をしているのですか?」

 その声に氷河は顔を上げた。
 ここは屋根の上、氷河はぼ〜と街と緑の光景を見つめていた
時のこと。

目の前にいる人は、着物を着た一人の女性―――
 草凪御沙の母、麗。
 謎の多い御人の一人だ。

「明日はホワイトデーなのに、何もしないでいるつもりですか?」

 やんわりとした口調。この雰囲気は御沙に共通するものでもある。
 それに、昔から全然変わらない。姿も顔も若々しいままだ。
 どちらかというと童顔、といってもいいだろうか。
綺麗な顔、あらゆる時も着物を着ている。洋服は見たことがない。
もしかすると御沙は父親似、なのかもしれない。
 あんな性格も受け継がれてるのだろうか。
などと考えていると。

「聞いてますか? 氷河君」

 にこっと笑いかけられ、ゾクッとしたものを感じた。

 この人は微笑みが怖い。常に笑っているから特に怖い。
御沙も似たようなところがあるが、この人が元祖だ。
逆らうと殺されるっっ

「は、はい、えーと、その……麗様こそこんなところで、
というか、屋根にどうやって登ったのかと……」

「あらあら、そんなこと考えていたのですか?」

 口元を押さえて笑いを隠した。上品な笑い方だ。

「人間頑張ればジャンプだけで屋根に登れるものですよ?」

 上品なのに、この人はとんでもないことを口にする。
これもいつものことだ……多分……

「麗様……」

 愕然とした氷河は思わず、禁句を……口にしかけた。
もし、「そういうのは化物です」といったら烈火のごとく怒るに違い
ない。

「何です?」

にこやかな笑みに、禁句にぎりぎり触れる範囲のことを口にする。

「それ、半分ぐらい人間やめているかと……」

「……? 何を言っているやらこの子は。たかだか3mぐらい
飛び越えるぐらい常識よ常識。皆やってるわ」

 あっけらかんとした言い方に氷河は背筋が寒くなった。
―――この人の常識っていったい……





「剣先がそわそわ……揺れてるな……」

 その頃、御沙は父・皇華に呼び出されていた。
 二人とも胴着姿だ。

 皇華は構えはない。自然体、無形の位、どんな動きにも対応する構え。
対して御沙は正眼。剣先で相手の間合いを計る、基本的な構え。

「そんな悩みを抱えたままで、相手を倒すことができると思うか?」

 ただ、静かに、静かな声。
 普段の皇華と、道場でいる皇華はあきらかに別物だ。
 真剣になった皇華は当主として相応しくなる。
冷徹な判断を告げる時、当主として(真面目な)命令を出す時。
明らかにふざけている時。
このギャップの差は、御沙でも恐ろしく感じるときがある。
今がその時なのだ。

「……思いません」

 重々しく口を開く御沙。
 殺気、といってもいい。御沙の心は折れ始めていた。
構えのない構え、なのに皇華から放たれる威圧感。
先の先のまた先を読まれているような感覚。
勝てない、この人には勝てない、と。
吐き気すら覚える。威圧と殺気……そしてわからない匂い……

「おまえ、俺を倒せるとでも思っているのか?」

 鼻を鳴らす。わざと隙を見せている。動くのを待っている。
 そして後の先をとる。
「百年早いわ」
 御沙に笑いかける。不意に殺気が消える。
人差し指を動かし、不敵に笑った。

「座れ。悩みがあるなら聞いてやる」

 御沙は素直に従った。今まで皇華に隠し事できた試しがないのだから。
こういう時の父は好きだ。
でも、あの感じた匂いは何なのだろう……





「まぁ、私のことはさておき、どうするのです?」

 麗は風で揺らされる髪を抑えながら微笑んでいる。

「買って来たものにしようかな、と」
「他のお友達からもらったものと同じ?」
「え゛」

 氷河は引きつった。

「私の記憶が正しければ、うちでもらう前に一つ、もらっていたはずね。
証拠隠滅のつもりかしら、学校で食べ……」

「わーわーわー、ど、どうしてそれを」

 事実だった。

「女というのは敏感なものですよ。あの御沙ですら気づいている可能性も
ありますしね……」

 流し目をしつつ、麗はくるりと後ろを向く。

「で、どうするのです?」

 それが最終忠告だということはわかっていた。
氷河は何も言わず、その場から立ち去った。
ー――遠くで、麗の声が聞こえてきた。

「お互いが努力しないと、ね。御沙は……なのですから」





「ふむふむ、なるほどな……で、おまえはどうしたいんだ?」
「どうしたい、と申されましても……決めるのはその……」

 御沙は完全にいじけていた。膝を抱えて、膝の上に顎をのせ、視線を床に
滑らせる。。

「そのもらった女のことは無視して自分だけを見てもらいたいのか?
それとも、その女の気持ちを大事にしてもらいつつ、自分を見てもらい
たいのか?」
「うー……」

 御沙は思考の迷宮入りに入ったようだ。表情がころころと変わる。

「おまえの気持ちはどこだ? 自分の立つ位置すらわからずに、敵との
間合いなどわかるか? 馬鹿だなおまえは」

「そ、そんなこといったって……」

 乱暴に頭を撫でられる。髪がぐちゃぐちゃになる。

「ほら、俺の可愛い娘よ。せっかく美人なんだから、しっかりするがいい。
世の中には美形族と一般族とブサイク族しかおらん。自信を持つがいい」

「……お父様、その言い方、ひどいと思います」

 精一杯の反抗も、皇華は高々と笑い飛ばした。
少しだけ、楽になった気がした。

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