草凪家の朝 四



 その日の朝……

「……あれ?」

 御沙は目が覚めた。布団の中でぐるっと寝返りうつ伏せになり、枕元においてある時計をぼんやりと
眺める。氷河が起こしに来る前に起きてしまったようだ。。

 この季節、秋が日に日に冬への準備期間を着々としていっているのが、日々わかる。
気温、日の登り、それに起きやすいかどうかで……

 改めて時間を確認すると、もう5時をまわろうとしていた。

「……氷河君、きませんね〜……」

 十七になってようやく、一人で五時前に起きることができるようになったのだが、御沙は氷河がそれを
知ったら、起こしにこなくなると思い、寝たふりを続けていた。
そして、そうやって氷河が起こしにくるのを心待ちにしている。
……のだが……

「……来ない……」

 寝坊しているのだろうか? 顔を洗い、用意していた胴着に着替え、髪を軽く櫛を入れる。
 時計を見る。
五時二十分……タイムリミットまで残り十分……

「可能性としてあげるなら、過去の事件にあった事例で考えると、娘が寝取って混乱中……
の可能性……そんな天文学的確率でしかおきなさそうな。ないとして……普通に寝坊かな?
もしかすると、病気で倒れている、とか?」

 寝坊なら仕方がない。自分自身が常習犯なだけに頷くしかない。
ポニーテールにまとめた髪のバランスをとりながら、どこかおかしくないかのチェック入れる。

(普段、氷河君にはみっともないとこいっぱい見せてるから、今さら、なんだけどね……)

 何よりうまく決まっていると気持ちも踊る。しっかりとしたいのだけど、どうしてもうまくいかない。
たまに思っていることの反対のことしてしまうし……

「よしっこうなっては仕方がありません」

 妙に嬉しそうに拳を握る。

「私がおこしてあげましょう。覚悟してくださいね〜氷河君」
 こうしてスキップしながら氷河の部屋へと向かっていく……



「……なんでだ。どうしてこんなことに……」

 氷河は、もう既に御沙を起こせるよう準備は終わっていなかった。氷河は蒼と白の縞模様の
パジャマのまま、未だ洗面所の前に、呆然と立ち尽くしていた。
 目の前に映る自分の姿はいつもの通りだ。ただし一部を除いて……

「……いったい何をしてしまったんだ、俺は……」

 今にも叫びたくなる。
 引っ張ってみる。神経が通っているのか、髪を引っ張っているかのように痛い。
まるで禿げてしまいそうな、そんな錯覚を襲う。
 引きつる頬、咳払いし、気を取り直してこの現象に立ち向かう。
―――押さえてみる。ふわふわとした触感がとても心地いい。
――― 撫でてみる。こそばゆいのか手の平の中でピクピクと動いている。まるで本物かのように……

「……まて、まて、落ち着けオレッ」

 息荒く、手を離す。事態から現実逃避しているかのような、そんな錯覚をも覚える。
息荒く胸を押さえる。

……引っ張ってもとれる気配はない。
……押さえても引っ込む気配もない。
……伏せても隠しきれるか判らない。

(いっそのこと……斬るか? でも痛いのは……)

「……うぅ」

 頭を抱え、蹲った。
 時間だけが過ぎていく。頭の混乱が限界に近づこうとしていたちょうどその時……
……廊下のほうから足音が聞こえてきた。軽やかに、まるでスキップを踏んでいるか
のような……
 全身汗が吹き出してきた。時刻を確かめる。
 五時二十五分……タイムリミットギリギリ。
ごっくん、と氷河は生唾を飲み込んだ。

「……この足音は……間違いないっ」

 敏感になった感覚は、間違いなくその足音の主が歩いて、というか弾むようなリズムで
接近している光景を瞼の裏に再生することができていた。

「……や、やばい、どうにか、どうにか、どうにかしなければ……御沙がきてしま……しまうでは
ないか〜」

 小声で、うわ言のように、舌を噛むほど動揺した氷河の瞳は、いつもの冷静な彼のものではなく、
明らかに混乱をていしていた。



「フフフ、氷河君寝てるのかな〜」

 スキップしていたが、コホンと咳払いをし、できるだけ丁寧な歩行に変える。
足音を立てぬように、姿勢を正しく、小幅にゆっくりと。けして慌てぬように、足音を
聞こえないように。

 足音を立てないように歩く。だが、どうしてもゆっくりと歩く足は足早になっていく。
寝ている人を起こすという行為は、実は初めてなのだ。家で一番の寝坊なのだから。
氷河の部屋の前に立つ。
 深呼吸一つ。軽く咳払い一つ。胸の前においた両手を一度祈るかのように合わせ、軽いタッチで
コンコンとドアをノックした。

「氷河君ー、朝ですよ〜」

 部屋からは返事がない。ただ若干、足音が聞こえたような、そんな気がしたが、それは気のせいの
ようだ。部屋からは何の反応もない。

「? 起きてるの、かな?」
 部屋の中に入ってみると、綺麗な洗濯物スペースがあり、襖で仕切られている。多分、そこが個室
になっているのだろう。
真っ直ぐにそっちに向かう。

「氷河君?」
 開けた襖、そこに見えたものは……
 六畳の部屋、布団は部屋の左側に敷いてあり、そこには明らかに誰かが寝ているようだ。

「氷河君、遅刻だよ?」

 ビクッと布団の中で反応があった。



 氷河には正常な判断ができない状態にあった。完全偽装した隠れ場所をあっさりと……

(完全偽装したはずだ。どうしてばれた?)

 頭を抱えながらも、これが隠れたことにはなってないという結論には達しない。それほど、氷河は
混乱していた。
子どもの頃、あれほど動揺しないようにとしていたのに、今では見る影もない。
 どうにかこうにか言い訳を考える。これだったら退いてくれるに違いない……

「……お、男の事情だ、察しろ」
「?」

 布団の外で御沙が首を傾げる仕草が、妙に感じ取れる。

「よくわかんないけど、急がないとタイムリミットきちゃうよ?」

 察してくれるほど、御沙は敏感ではなかった。



 御沙は首を傾げた。いつもの彼らしくない。

「何か、ありました? ねぇ、氷河君」

 布団に手をかける。こんなことは今までに一度もなかったことだ。
そういえば……御沙自身、人が寝ているのをこうやって起こすことも初めての体験だった。

「や、やめろ。一体、何をする気だっ」
「今日の氷河君、変だから。きっと何か隠しているんでしょ?」

 氷河は何か隠そうとする時、それぐらいしか動揺したりすることはないことは、御沙自身よく
わかっている。いつの頃かは忘れたが、なかなか動揺しない性格なのだ、氷河は……

「なっ何をか、かくしていると?」

 声が裏返っている。これは予想以上に当たりだと言っているようなものだ。

「私にも、言えないこと、なの?」
「……な、何のことだか……だから、お、男の事情というものがあるんだ」
「だから、その男の事情って?」
「くぅ、この天然めー……そ、そんなこと言えるかっ」

 吐き捨てるかのように言う声は、やっぱりいつもの氷河らしくなかった。
考えながらも、一つの答えが出る。

「……あ、事情ってエッチなこととか?」

 声がちょっと一オクターブほど下がったような気がした。御沙自身、どうしてかはわからなかったが。

「そそ。だから早く行ってろ」

…………

「でも久しぶりですね〜氷河君の部屋は……」

 ぐるっと周りを見回す。机には教科書がキチンと整理されてある。今日は日曜日というのに
月曜日の時間割も問題なくできているようだ。本棚にはラジカセと数冊の漫画本が並んであり、
キチンとしてある。部屋はやっぱりその人の性格が出るものだ。

「うぁ……整理整頓してるのね〜すごいすごい」
「そ、そんな凄いことでもないだろ。おまえだってやってることだし……」

 机に腰掛けるようにしながら、ちょっと自嘲するかのように笑う。

「そうでもないよ。だって、氷河君来るから、あんましだらしないとこ見せないようにしてるん
だから……いつもがいつもだし……」
「御沙?」

 体を起こしたようだ。布団を頭にかぶったまま、正座している。

「だから、隠すのはわかるんだけど、どうしてかな〜と思って」
「?」
「起こしに来なかったこと」
「……うっ」

 布団の中でまた一つ反応が増える。もぞもぞと悶えているかのようだ。
…………

「それも男の事情?」
「……い、いや違うんだ。ほんとにっ」
「……私にも、いえないこと?」
「……うぅ……いや、だからさ……見せられるような状態じゃ……」

 布団の中で頭を抱えているようだ。
ゆらゆらと揺れている。

「……私のことは、その男の事情の前よりも大事なこと?」
「だー、違う違う。絶対に違う。それは絶対勘違いだぁ」

 プルブルと首を振りながら、氷河は否定する。それを見てほっと一息つく。
布団が取れて、氷河の姿が現れる。
 そこには汗だくになりながらも、赤くなった顔で見上げる、頭に犬耳がある氷河の姿があった。
しばし、見つめ合う。

「はっっ、あっっ、み、見たな?」
「…………」
「見たな、ついに見てしまったな、御沙ってどうした、おい」

 今まで張り詰めた気持ちもどこかに霧散していた。むしろ、予想外のことにより、脳が真っ白に
なっている。氷河の声だけが妙に響く。
御沙は口を押さえ、口元を押さえる。

 氷河は、急な変化に肩を掴んで、揺さぶり始めるが、このこみ上げる気持ちは止まらない、
止まりようがない。

「……に」
「……に?」

 振り返る。両手を握りながら直視する。

「似合いすぎっ。あまりにも似合いすぎですっ。とってもうん。隠す必要はあーでも、これ
いいな〜本当にいいです。これって何? 氷河君、新しい商品? うぁ〜んもうなんていうか。
可愛すぎ、似合いすぎ、最高ー触っていい?」

「な、何を、何をいってる、なぁ、落ち着け」
「あーでも普通の耳もちゃんとあるんですね〜つけ耳? いいな〜ほしいな〜でも、それって
どうしたんです?」
「し、しるか〜」

 氷河は大声で怒鳴った。
その拍子に、ずるっと片方の耳がズレた。

「ズレてる? ひょ、氷河、君、ズレてる」
「……は?」

 犬耳に触れてみる。ズレてるのを手で確認する。

「まって、氷河君、動かないでね〜」

 上から観察するように、御沙はよく見た。

「氷河君、これ、付け髪みたいなもの、ですよ?」
「付け髪?」
「そぅ。これ、とれるの」
「とってくれ」
「えー」
「えーじゃない」
「写真撮りたい……」
「今度な」
「絶対ですよ」

 御沙は、ゆっくりと、それをとり始めた。



 それは、犬耳の付け髪、のようなものだった。ような、というのはこれは地肌につけても問題ない
ようにできているからだ。
ただし、普通とは違っていたものはつけている感覚がまったくなく、本物のような手触りがする、
という代物なのだ。
しかも、市販では売られていない、らしい。



ちなみに今も、この犯人は……分からない……。


「ちくしょー、犯人はいったい誰なんだー」
「……誰だろうね〜りぅちゃん」
「……」

遠い目をする、白い人は無言で麦茶を啜っていた。




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