草凪家の朝1 ごくごく普通の朝



 草凪家の朝は早い……


 朝四時五十五分……

「おーい、起きろー」

 少女の朝は胴着姿の青年、小野氷河の声で始まる。

 六畳の畳の中央に敷かれた布団。
この部屋は日が昇ると眩しすぎる場所だが、今はただ暗闇の中にある。
 壁には箪笥と本棚と鏡台、そして小さなテーブル。
布団の傍には読みかけの本が置いてある。
 足元に気をつけながら氷河は周りに神経を集中する。気配、触覚、視覚、
嗅覚、全てを使う。
 賊が侵入し少女をさらわれた過去が、氷河を注意深くさせる。

「お〜い、さっさと起きろよ」

 ゆっくりと灯りをつける。
……反応がない。
 少女はまだ眠っていた。
寝起きが悪いのはいつものことだ。

「……はぁ」

 そこに眠っているのは黒髪の少女。
 漆黒の闇、月光に磨かれた白。
そのような印象がある黒髪と白い肌をしていた。
 この少女、草凪御沙は幼馴染だ。
 六歳からこの家で住んでいる。母だけではない。この家で働く人の半分は
どこかに部屋を持っている。そしてそれぞれ役目を持っている。
 氷河自身もそうだ。
 御沙を起こす。病気の時は例外だが、毎朝かかさない。十年近く続けている
それが氷河の日課だ。

 少女は規則正しい寝息をたてている。安心しきった顔、特に朝の寝顔は
彼だけの特権のようなものだ。
 部屋に入っても反応しない。
寝ている横に座ってみる。
それでも反応しない。
……無防備すぎる。

「……俺が男ってこと忘れてるだろう。毎日毎日……」

 寝顔を見守ること一分……
 氷河は大きく深呼吸をした。肩が微妙にピクピクッと動く。
ゆっくりと、ゆっくりと人差し指をたてる。妙に震えている。

ごっくん……

 生唾を飲み込む。日頃やりたいと思ったことが脳裏を掠めた。
……この綺麗な幼馴染の頬を……
……ツンツンとつついてみたいという密かな願望……
 子どもの頃からどんな感触なのだろうと思っていた。やろうと考えたことも
あった。だが、どうしてもどうしても実行することができなかった。
―――やってしまったら壊れてしまいそうで……それほど御沙は綺麗だから……。
 高鳴る鼓動を抑え指をその頬に……。
震える指を……

 はっっと我に返った。
 ズザザザッと後退、退路に視線、電灯を一瞥、はぁはぁと息荒い。
「だ〜〜何考えてるんだ俺は〜〜〜」
 ガンガンガンと頭を柱にぶつける。
 理性が勝ったようだ。

「うぅん……」

 少女は寝返りを打つ。
ゆっくりと瞳が開く。氷河と視線が合う。

「み、御沙……」

 草凪御沙は大きく伸びをした。慌てて後ろを向く。
 眩しい蛍光灯に目を細め、ぺこりとお辞儀した。

「……おはようございます。氷河君」

 氷河は無理した笑みを浮かべる。悟られないように平静を装いながら
「早く用意しないと。五時になるぞ」
と言って外に出た。



 一人残された御沙は首を傾げた。氷河の顔は赤面としていて、全力疾走して
きたかのように息が乱れているように思えたのだ。
「あ〜、きっと寝坊したんですね〜」
 ぼんやりとそう結論付け、朝の鍛錬のために立ち上がった。


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