お願いっ!!





 柔らかな冬のある日。
 皇華は暗がりの中、きっちりと着込んだ客人の相手をしていた。
客人は汗を拭きながら―――冬なのに汗が出るほど暖房が聞かせているわけ
ではなく―――バックから書類を取り出す。

「……これをなかったことにしてもらいたいのです」

 すーっと出された書類を皇華は手元に引き寄せる。上目遣いで相手を見る。
客人の顔は真剣そのもの、焦りすら見てとれる。

―――急ぎのようか……

 皇華は両腕を組みながら片目で紙に目を通し始める。

「ふむ……」

 低い声が響く。唾を呑む音が聞こえ来る。
資料に目を通し、一ヶ所に視線が止まる。

「確かに……これは隠したいところだな。今までのイメージを維持するためには
下手をすれば……周辺はパニックになりかねん……」

「今のところ、被害はそこだけ。もしこのことがバレたら……
今ならまだ発見されたという情報もない上、時間がないのです……」

 資料が本当だとしたら、コトは一刻も早く動かねばならない。
立ち上がる。

「……わかった。善処しよう。報酬は成功報酬のみ。
風が草を凪ぐように、この事件、静めてみせよう……」
 客人の顔がぱっと明るくなる。

「で、写真がないのだが。肝心の……」
「これは失礼しました。この子です」

 写真を見た皇華。その瞬間、顔が強張った。。

「こいつは……おい、誰かっ」

 障子に人影が浮かぶ。

「すぐに人を集めい、すぐに動くっ」

 皇華の声にも焦りが浮かんでいた。




「氷河っっ」
 御沙の部屋に向かっていた。
 皇華の怒鳴り声が響く。準備する人たちの音が物々しく響き、皇華は焦りを
隠さずにおれない。

「はーいはいはい。なんだよ、皇華っ」

 襖から顔一つ出して尋ねる。邪魔するなといわんばかりに敵意ある視線を向けている。
幼い彼にとって、皇華はあくまで敵なのだ。

「御沙は?」

「……あれっきり帰ってきてない。ほっとけばそのうち帰ってくるだろ?」

 あれっきり、とは数時間前にあったやり取りのことだ。
 こみ上げてくる怒りを押さえ込む。それは皇華自身に対してのと、本来の任務を
無視してのほほんとしている氷河に対してだ。だからといって今、ここで爆発させてはただの八つ当たりになってしまう。元々、皇華が許さなかったからなのだから。

「……御沙がピンチだ。おまえの力が必要だ」

 真剣な顔で怒りを抑える。

「は?」

 イマイチ、状況が掴めていない顔をしている氷河は間の抜けた顔になる。

「俺の仕事には敵が多い。おまえの仕事、御沙の護衛はただの冗談じゃない。
下手すると……御沙はもう帰って来れないだろう……」
「な、なんだよそれは」
「説明する時間が惜しい。御沙を探し、そして護れ」
「わ、わ、わかった」

 足早に駆け出していくのを見送る。携帯電話に指示を飛ばしながら、歩き出す。
今は氷河の嗅覚に任せるしかない。恐らく氷河ならば御沙の匂いをかぎ分け、
たどり着くだろう。

「あなた、焦りは禁物ですよ?」

 いつのまに現れたのか、麗はやんわりと諭される。

「あの娘は私と貴方の子ですから」
「……大丈夫としても大人しく座しておくことはできん。身から出たことなら、特にな。
最悪の事態に備えて行かねばならない」
「……わかりました。私も動くとしましょう」

 と、中庭へと降りる。
ぼそりと呟く声に皇華は麗に一礼する。
麗は何も言わず、走り出した。




「お父様の、バカ……」

 涙をそのままに歩いていた。
 私道とは逆に歩く。気が付いた時には家の場所もわからない。
 この方向、私道と反対側の道は普段立ち入り禁止と言われていた。
一度、自転車で来た時、激しく怒られたものだ。

 母、麗が言うには生まれ故郷がここにあるのだと言う。でも、ここらには
電信柱もなければ、道らしい道は砂利道で整備されてないせいか草が多い。

 腕の中でもぞもぞと動く。白いタオルに包まれていてもその温かく柔らかな生物の
感触に思わず強く抱きしめる。
 鼻を通る空気は冷たい。日も落ち、寒さがさらに強まりつつあった。



「……飼いたい、か……」

 皇華は集まった情報を聞きながら呟く。あの時、許可していたらよかったのかも
しれない、という後悔がある。もっと言い方があったのかもしれない、と。
あの時のやりとりが、胸を締め付ける。


「おまえ、解っているのか? 動物を飼うというのがどういうことなのか」
「わ、わかってるもん」

 その声は震えている。それでも譲れない気持ちだけ力強く響く。

「おまえは、捨てられているものを可哀想だから助けると言うのか? 一匹で済むと
思うか? 答えろ御沙」

「で、でも……」

 腕の中からか弱い鳴き声が聞こえる。不安気な声だ。

「……覚悟と責任、恨み言を言わない。少なくともそれを証明しない限りは飼うことは
許さん」

 皇華の顔は真剣そのものだ。茶化してはいけないことなのだから。

「……」
「わかったなら捨てにいけ」
「お父様のバカッッ」

 泣きながら駆けていく御沙を、皇華は何も言わず見送った。



 飽きたから捨てることが多い。この草凪家周辺でも野犬がたまに見る。
一時期流行ったペットが野生化したのだろう。命を何だと思っている、という
出来事が多すぎる。特に命のことに関しては厳しい態度で教えなきゃいけないことだ。
親として教えなきゃいけないことに対して、皇華は普段の軽さはなくなる。

「かわいいのはわかるんだけどな……本当に……」

 欲望を押さえつけながら、握り拳を作る。
 可愛いものは可愛い。御沙にしても可愛いペットにしても、一回は抱きしめてみたい
という思いはある。起こってしまう。

 両手で顔を叩き、気合を入れなおす。今は仕事に専念せねばならないのだ。

「ターゲットは森に向かった模様」

 報告が来ると、森へと歩きながら指示を飛ばす。

「周辺警戒レベルを上げ、監視体制。氷河はどっちにいってる」
「同じく森に、これは自転車でしょうか。向かっております」

 取り付けた発信機のスピードから見ての判断だろう。

「護送用トラック確保。あと三十分下さい」
「二十分だ。あと、中に車を用意しておけ。搬入はそれでいく」
「はい」

 懐からマイクを取り出し、力強く言い放つ。

「これより、御沙を確保に向かう。俺直々に出る。別働隊も出てる故、足の速い
六人ついてこい。他は作業、周辺の情報整備に迎え。盗撮や覗き見してるやつもだ
十五分で戻る」

 皇華はマイクを持ったまま走り出す。

「みぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ、さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 飛ぶように翔けて行く皇華の顔は、親の顔のままだった。



 何かおかしい、と思ったのは走り出してから五分をたった頃だ。
 寒いのはしょうがない。しかし、この異様なほど肌がざわついてきた。
寒気だけではない。神経が過敏になっているのかもしれない。気のせいかと思った。

 しかし、気のせいではないと思った。何かよくわからない悪意のように感じた。
 走り出すと服の擦れる音と何かよくわからない金属音が後を追って来る。
間違いなく、誰かいて追って来ている。

 嫌な予感が止まらない。
 捕まってはいけない、と本能が告げている。
 吐く息が荒く白く吐き出す。森の中は走りにくい。時々草が足にとられそうになる。
木が行く手を邪魔をする。

 後ろから「捕まえろ」という声が聞こえてくる。
 全身にまとわりつく感覚、足にからみつく感覚、首を締め付ける感覚、不快感が襲う。
 御沙は速度を上げる。後のことは考えず全力疾走する。
 何か風きり音がした。近くの木に抉れた後が浮かんだ気がした。
後ろで声がする。馬鹿、撃つな、あたったらどうするという声。

「……飛び道具……銃器?……狙われたのは私? それとも……」

泣き出しそうな顔で、足を速めていた。



「……何?」

 隠れている人たちが銃器を向ける。氷河が自転車から飛び降り、地面に
転がった。吐き出されるものが何なのか把握する間もなく、転がりながら安全であろう
地点……茂みに入り、素早く木の後ろに隠れる。

「ガキか、動くな」
「なにもんだ、てめーらは」
「ガキに答える必要はない」
「ガキガキいいやがって……ざけんなっ」

 懐から球を取り出し、ライターを取り出す。そっと顔を覗いてみる。
ピンポイントに一斉射される。よく見えているようだ。よく見ると、ゴーグルの
ようなものをつけている。この暗い中、よく見えるのは不思議だ。

 氷河には暗いところでも見える。日ごろの成果、とも言えるが生まれついたもの、
といっていい。

「子どもを舐めると……」

 火をつけ、後ろに飛びながら投げつける。撃たれるが、あたらず、球は茂みを越えた。
 すぐに目を閉じ、俯く。瞼の上からもを焼く閃光。光が破裂した。
 けたたましい悲鳴が上がる。銃器から放たれる音を聞きながら呼吸を整える。
本物だと当たると死ぬ、というのだけは漠然と分かっている。
 目くらましだが、あの銃器は厄介だ。弾が尽きるまで待った。
別の悲鳴が上がる。
 素手での打撃音がする。光はまだおさまっていない。
 光がなくなり、うっすらと目を開ける。
 そこには一人の着物を着た人が笑っていた。

「氷河さん、遅いですよ」

 氷河がきた時には、数人の迷彩服を着た人たちが倒れていた。

「しかし、失礼な人たちですね。モデルガンで大暴れなんて。皆でオシオキは
終わらせましたよ?」
「麗おばさん」

 驚きの声を上げる。武器らしい武器は持っていない。皆でというのに立っている
のは麗しかいない。だけど何か気配がする。

「森の中では御沙の気配が掴みづらいですね……氷河君、発見は任せますよ」
「んな人をイヌみたいな……」
「すぐに皇華が来ます。待ちます? その間に、御沙に怪我がするのかもしれませんよ?
そうしたら、あの人のことだから怒るでしょうね〜」

 流し目で見つめられる。ゾクッとする感覚。
 この人には何故か逆らうと怖いことになる、という気がしてならない。それに
比べたら皇華のほうが安全と言える。

「いったいどうして狙われるんだ?」
「私にはわかりません。今回は、ただの動物愛護団体だからいいんですけど」

 と、説明に困ったような声を出す。

「愛護団体ってこんな過激か?」
「まぁ、いろんな人がいるということでしょう。それに、御沙が連れてきた
あの子にご執心って感じですね……まったく……どこの世界に……」

 氷河は悲鳴じみた声を上げ、走り出した。



「嫌です」

 気丈に拒否する。しかし声は震えていた。
 周りには変なゴーグルをつけた四人が、銃器を突きつけている。渡さなければ、
と脅されていた。
 姿を隠す必要もなくなったのだろう。既に発見されているのだから。

「この子は私が拾ったのっ。私が責任持って育てるのっ文句は言わない、覚悟も
責任もとれないけど、私、私……がんばるんだからっ」

 歯ががちがちなりそうになるのを奥歯をかみ締めることで堪える。目が熱く
濡れてきているのがわかる。
 腕の中の暖かさはまだある。強引に奪い取ろうとするのを平手で打ち払う。

「何言ってやがる、この犯罪者の一味か」
「いいから押さえつけろ」
「このガキが」
 髪を引っ張り上げられる。
 痛いと声が漏れる。力づくで腕から引き離される虎縞の猫。
素早く確認する。首輪に何か金属のものがあり、確認をとると袋の中に入れる。

「これは我々が保護する」
「やだ。返してっ殺したらやー」
「誰が殺すか、我々は……」

 言おうとしたその瞬間。怒声がした。

「その汚い手を離せ、こらぁ」

 御沙の髪を握ってる人にかかと落としが入る。首を斜めに入り、一撃で倒れる。
次々に襲い掛かる。金的、腹に、脛へと叩き込みながら叫ぶ。

「大丈夫か? 御沙」

 声をかけたその一瞬、氷河の頬を振り降し気味の拳が振り抜かれる。
その一撃でたたらを踏み倒れる。

「ひょうちゃんっ」

 御沙は悲鳴を上げ氷河の元へと走る。

「このガキらは……おとなしくしやがれ」

 銃を突きつけられる。引き金に指がかかっている。
息を呑む。
 御沙をかばうように、氷河は前に立とうとする。膝ががくっと折れる。
体が言うことを利かないようだ。

「駄目っ」

 御沙は氷河の前に立つ。氷河はまだ立ち上がれない……




 貴様らっと小さな声。怒気の混じった叫び。
二人は見た。
 黒い物体が男に飛び蹴り、的確に顎にジャブ、右の拳がフルスイングされる。
 それだけで一人の男が捻るように吹き飛ばされる。
 同時に上から飛び降りてきた人たちが残りの人を押し倒す。
全員制圧するのに10秒も必要なかった。

「目標確保、御沙様は無事、氷河は……」
「……生きてるよ」
「捕まえて屋敷に移動。身分その他、武装解除させろ。マスコミや見た人を確保し
記憶を消せ。こいつらも同様だ。身元を割り出しておけ」

 皇華はテキパキと指示を飛ばす。

「お、おとう……」

 頭に痛い衝撃が走る。皇華が拳骨で叩いたのだ。

「心配かけさせんな馬鹿が。心配するだろうがっ」
「……だって、だって……」
「何も考えなしに家出なんざするなっまったく……」

 いいながら抱きしめる。もがきながらも皇華を見る。

「ひょうちゃんが助けてくれたの」
「……そうか」

 と氷河を一瞥する。にやりと笑うその顔には「やればできるじゃないか」といってる
ような気がした。誰かが氷河を抱え、「医務室へと向かいます」と宣言する。
 氷河は声を上げるが、程なくして意識がなくなった。


「お父様」
「ん?」

 残された御沙と、袋の中から顔を出している虎縞の猫を見ながら尋ねる。

「この子は、どうするの?」

 家で飼うのは駄目、なのはさっきのやり取りでわかっている。だから、あえて聞いて
いる。

「母虎に返す」
 諦めたように呟く。

「虎?」
 首を傾げる。

「そう、虎」
「お父さん……ひどいです……」
「あ?」

 涙目で訴える。

「名前勝手につけて、もっと可愛い名前がいいです……」
「そこはボケるとこじゃないっ」

 と、額に指を弾く。両手を肩に乗せた諭すように言う。

「御沙、よく聞け。あれはな、猫じゃない。この子はな、正真正銘の虎の赤ちゃんだ」
「……そんなわけないでしょ?」

 至極、その通りなのだが、と皇華はなんともいえない顔になっていった。



「しかし、どんな馬鹿ですか。虎を盗み出すなんて」

 皇華の部屋にて。麗は静かに皇華に尋ねる。

「さぁ、知らんな。どうせどこぞの金持ちが虎がほしー、とかいって無理に奪い取ろう
としたんだろうな。搬送のミスでもあったのか、草凪家の近くで落とすなんてな……
間抜けに違いない」

 深くため息をつく。
 虎はそのまま動物園に戻され、事件はそもそも起こらなかったことになっていた。
 どうして隠したかったのかは深くは聞いていない。盗む人が出るほど可愛い、と
銘打てば来る人も多いだろう。
いや、どっちにしてもマイナスイメージのほうが強いのかもしれない……
経営者の判断、ということなのだろうが……

「だいたい、虎なんて飼ってどうするんだっていうんだ? 庭に放って泥棒避けに
でもするのか? 三週間ぐらいで倍ぐらいの大きさになりそうなのに……
金持ちの考えることはよくわからん……」

「それもそうですね〜猛禽類は遠くで見ているから綺麗ー可愛いと言えますし……
可愛いのは今だけ、なのかもしれないのに、ね……」

 まったりとしながら二人は苦笑する。皇華は寝転がり、襖を足で開ける。
冷たい風がひんやりとして気持ちがいい。

「きゃ〜〜〜〜〜かわいい〜〜〜」
「おい、躾はちゃんとしないといけないんだぞ?」
「御沙様、柱に爪とぎを〜」

 廊下から聞こえてくる声に、皇華はむっとした顔になる。
嬉しそうな声だ。
指でツンツンと畳を突付き、混ざりたいんだけど行きにくい、感じが皇華はしていた。

「……皇華さん?」
「なんだ?」

 声はあくまで冷静を装っている。

「猫王国になったらどうしましょう」

 ビクッと肩が動く。

「……」
 しばらく考える。
 反射的に麗から顔を背けて、それは勘弁と呟く。
その顔は緩み何故か握り拳を作って小さく「よしっ」と呟いた。






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